2007年12月19日
相対評価と絶対評価
ネット系の話ではないが、昨日「ガイヤの夜明け」で山一證券破綻、北海道拓殖銀行破綻後の旧社員達の話を取り上げていたのを見て、昔のことを思い出しブログに書くことにした。
今はもう付き合いは無いが、旧協和銀行の大国町支店(大阪)で初めて外回り営業になった時の上司の私への指導が今も忘れられない。
1988年頃、私が25歳、その上司M氏が課長で43歳だった。私は今44歳なので、ほぼあの頃のM課長の年齢となったわけだ。その頃のM課長は私のことをどう見ていたのか、今はだいたい想像ができる。しかし、その頃は若さに任せて突っ走っていただけだった。
私は、営業成績が良かった。営業は気合と根性だと思っていた。だから1軒でもお客を訪問することに注力した。そして同期の中で一番に評価されることをいつも気にしていた。
同期の中でも、そして地域支店の中でもTOP若しくはそれに近い成績をあげることは1度や2度では無かった。
当時、月間MVPや半期MVPという制度が有って、優秀な成績を上げた社員を支店長の推薦によって表彰する制度が有った。私は何故それに推薦されないのか常々不満に思っていた。
ある時、支店長がM課長を呼んで、「もうええ加減、島上君を推薦してやらなあかんやろう?」と言った。M課長は、「ああ、島上にそんなもんいりません。MVPなんかやったら天狗になるだけです。」
私の前で繰り広げられたそのやりとりは、私のプライドを傷つけ、そして怒りに火をつけた。
「どういうことですか?M課長!」私は上司に対し激しく抗議した。
M課長は、ニヤリとして私にこう言った。
「オマエは、都市銀行下位行である当行の中で勲章をもらいたいんか?そんなに名誉なことなんか?自ら目標を決め、自分を絶対評価したらええやん。他を凌駕して当たり前って考えたらええやん。」
このM課長は、年齢から考えると大きく出世から遅れていた人である。そういう境遇の人の言葉とは思えなかった。但し、M課長は仕事ができた。要するにこの人は上に対しズケズケとものを言う人だったので、上から評価をもらえなかったのだ。当時の銀行ではある支店長に1回バツをつけられると、その後支店長が2代交代しないと復活できないと言われていた。
「そうか、自分はあくまでそれほどレベルが高いと言えない下位行の中で評価されようと思っていただけだ。それは相対評価。自分で目標を決め、自分自身として満足な仕事をしたのかどうか。それが絶対評価。つまりM課長は、オマエは小さいと言っているわけだ。」
それまで自分の5年上の先輩までは全てライバルと考え、目の前に走る先輩達の背中しか見えていなかったが、これを契機に視界が随分広がった。
それから1年して、人事部の臨店面接で次の転勤希望を聞かれた。「国際部国際資金室」を希望した。為替ディーラーになりたかったからだ。人事部の担当者はかなり困っていたようだった。私を東京の新設店舗の外回りにさせたいと思っていたからだ。
しかしながら1989年、国際部国際資金室、その後の資金為替部に転勤した。東京に向かう前に支店長とM課長が私を呼んでこう言った。
支店長「島上!M課長はなあ、オマエの人事考課の全ての項目に特A評価した。たぶん銀行初のことやろう。これからもこんなことする課長は無いやろう。さあこの後はオマエ次第や。」
M課長に対し、有り難いと心底思った。
絶対評価。この考え方は私の基礎。基礎では有るが、たまにまだまだダメだなと思うことがある。そして何より当社の中にその考え方が浸透しているのかというと更にまだまだだ。
M課長が私の仕事人生を変えてくれたように、私も社員達の仕事人生を良き方向へ変えたいと心底思う。
投稿者 島上 : 2007年12月19日 08:04
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